ES細胞や神経幹細胞のような幹細胞は、周囲の分化しつつある細胞からシグナルを受け取って未分化性を保っていると考えています。最も重要なシグナルの1つがNotchシグナルですが、その他にも様々な情報のやり取りが重要です。細胞間の情報交換の際、糖タンパク質に負荷されている糖鎖もこの役割の一部を担っています。
幹細胞の未分化性に深く関わる糖鎖として、LewisX抗原が知られていたことから、LewisX抗原の生合成に関わるα1,3-フコース転移酵素遺伝子に注目しました。数種類の既知のα1,3-フコース転移酵素遺伝子のうち、脳で発現しているものは Fut9 だと考えられてきましたが、LewisX抗原で想定されている重要な機能にも関わらず、Fut9 ノックアウトマウスは軽微な異常しか示しませんでした。
私たちは神経幹細胞に豊富に発現する新規のα1,3-フコース転移酵素遺伝子 Fut10 を同定し、その機能を詳しく調べています。これまでの解析では、Fut10 はES細胞にも発現しており、幹細胞の未分化性を亢進させる働きをもつと推測しています(J Biol Chem 2013)。
同時に、Fut10 が非常に厳密な基質特異性を示すことから、特定の糖タンパク質にのみLewisX抗原を付加して、糖タンパク質の機能を修飾しているものと考えて、そのような糖タンパク質の同定を鋭意進めています。
こちらは、同じフコース転移酵素でも上記のものとは違って、α1,2フコース転移酵素遺伝子とそれが生合成するH抗原に関する研究です。
ヒト後根神経節では、糖鎖の1つフコースがついたガングリオシド(糖鎖が脂質に結合した物質で、脳に多く含まれる)であるフコシルGM1が、小径神経細胞(痛みの伝達に関わる)に特異的に発現することが知られています。
温痛覚障害を呈する自己免疫性末梢性神経障害の標的抗原ともなり得ることから、フコシルGM1の生物学的な意義の解明を試みました。そのためにまず、ヒトと同様な抗原分布を示すウサギを用い、フコシルGM1生合成を司るα1,2-フコース転移酵素遺伝子のクローニングを行いました。
当時、α1,2-フコース転移酵素遺伝子には2種類あると推定され、そのうち1種類のヒトα1,2-フコース転移酵素遺伝子がクローニングされていましたので、その塩基配列を基にスクリーニングした結果、3種類のウサギα1,2-フコース転移酵素遺伝子を同定することができました(J Biol Chem 1995, 1996)。
また、H抗原を生合成するα1,2-フコース転移酵素遺伝子が後根神経節の小径神経細胞に特異的に発現することを確認した上で、ゲノム構造を解析することにより、後根神経節小径神経細胞特異的な発現を規定する領域および転写因子を同定することもできました(J Neurochem 1998, J Biol Chem 1999)。
さらに、同定したα1,2-フコース転移酵素遺伝子をマウス神経芽細胞腫Neuro2a細胞に過剰発現させることにより、無血清培養条件における神経軸索の伸長が抑制されることも見いだしました(J Neurochem 1996)。H抗原は糖タンパク質にも糖脂質にも付加され得ますが、軸索伸長の抑制はフコシルGM1によるものだと考えられました。これらの一連の研究は、等 教授の学位論文です。